2010年9月 9日(木) 11:53 JST

不世出の有道佐一画伯について

  • 2006年4月16日(日) 21:01 JST
  • 投稿者:
    yamaga
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▼こよなく愛したアトリエ(則神居)     ▼作品 「山家村」
    
明治29年、何鹿郡志賀郷村(篠田町)の豪家に生まれ、その後38年に山家に移り住む。19歳の時、写生旅行で山家を訪れた鹿子木孟郎(かなこぎたけしろう)画伯に見出され師範学校を中退し、苦労をしながら門下生となりひたすらデッサンに努める。40歳渡仏、パリを中心に創作活動中にパリ画壇の気鋭であったジャコメッティに才能を認められ、ピカソ、マチス等巨匠が会員だった美術サロンの一員となり日本人初の画を納めた。帰国後はあらゆる画壇や団体の誘いを断り続け、山家の自然にこもって比類のない画作を続け昭和58年、87歳で永眠したとある。(山家史誌より一部抜粋)
▼頻繁に訪ねてきた友人達のサイン(一部)
   
長男、有道大作さん(69歳)に、在りし日の父有道佐一氏について語ってもらった。4歳の頃、書生4人とお手伝いさん3人が一緒に生活していた時、父でありながら家族だけで食事をした覚えはなく、思想的な話が好きでその話を聞きたい人や、有道佐一を崇拝するあまり、100%画に没頭してもらいたいと世話をしにきた人等、毎日20人~30人(中には意味もなくついて来る者)が家に来て、一緒に食事をしたそうです。又毎日朝4時頃から夜中の12時頃まで、画を求めて来る客の応対でなかなか絵筆を取れなかった時期もあったそうです。タバコが好きで毎日ゴールデンバットを300本程吸っていたが、決して画室では吸わなかった事。相撲や野球など趣味が多く、魚釣りは親子でよく行った事、カルタは趣味の域を出、京都や東京の大会にも出ていたそうです。ある時、知り合いが家宝にするからと何回も頼むので描いた画だったが〝安もんの家宝じゃな~、大根の1本もこん〟そんなエピソードの一部も話されました。又人脈も豊富で、あらゆる著名人が話をしに訪ねて来られたそうです。一時は画壇のトップを争う名声がありながら、それを一切絶ち唯一自分の画を描きたい、生きている間に描きたいと、寸暇を惜しんで没頭されたそうです。その生涯に亘って描かれた沢山の作品が、現在大作さんの自宅に残されています。
▼海軍の教官から贈られたドイツ製の柱時計、〝今も時を告げる〟

 





大作さんの最大の悩みは・・・・・油絵の痛みが激しく、好きであった書物と画を、新しく自宅に建てた蔵に保管されていますが、現在特別な保管もされていないそうです。綾部の宝である、名画の保存対策が早く出来ないかと願うものです。大作さんの話を聞いていると、幼い頃の思い出話が溢れ出し、私も自然にその中に溶け込む事が出来、同じ時間を持てたことが嬉しかったです。有道画伯の画は、ホテル綾部のギャラリーで常設されています。是非、趣のあるホテル綾部にお泊り頂き、古里綾部の名作を心ゆくまで鑑賞してください。ホテル綾部のホームページは→ここ各紙の紹介→①ここ  →②ここ

円山応挙の妻の生誕地を訪ねて

  • 2006年4月13日(木) 23:05 JST
  • 投稿者:
    yamaga
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▼昭和7年の焼失後に建った子孫の家と、その子孫の眠る墓
  
山家史誌を読んでいたら、円山応挙の妻が橋上町出身と記されている。もしかしたら屋敷跡でもあるかもと思い、早速当てずっぽうに友人に電話をしてみた。応挙も知らないし、そんな話知らないとのつれない返事。日本画の大家だと説明し電話を切った。しばらくして、〝リーン、リーン〟〝あった、あった私の家や!〟位牌があるとの事。びっくりして、家を飛び出した。行く道中、この道も在りし日、応挙が歩いたかも知れないと、ドキドキしながら教えてもらった道を進んで行った。円山応挙について享保18年(1733)5月1日、桑田郡穴太(あのう)村<現亀岡市>に生まれ、幼名を与吉のち岩二郎、34歳頃応挙と改めた。貧しい農家に生まれ、村の寺に預けられた後、京都に上り呉服屋、道具商に勤め画家を志した。屏風や襖絵を描き、近代の日本画に大きな影響を与えた人物である。現存する作品は多くあるが、寺院に残る晩年の作品は、現代に於いても尚高く評価されるものがある。63歳の生涯を終えた。画家を志した頃、妻帯して独立した。妻女は名不詳であるがこの時代の系統書に女性を入れないのが通例の為記録がない。この女性が橋上町の木下家出であるのは間違いなく、霊標にある初代の政右衛門と本分家の関係にある半兵衛の息女と思われる。(香住、応挙寺談)今もって木下家では法要を司る。なお応挙の次男、応受は橋上町へ戻って母方の木下家を継いだが早世したとある。(山家史誌、ブリタニカ大百科事典より)史誌から得た知識とは言え、宝物を大発見した様な気分だった。
▼生家に行く途中の五郎橋

この五郎橋を渡り桜並木に沿って左へ100m程行くと、昭和7年に焼失後建てられた応挙の妻の子孫の家や屋敷跡及び墓がみられる。

ソフトバンクフォークス 神内 靖投手

  • 2006年1月20日(金) 01:59 JST
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    Admin
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綾部出身です。福岡ソフトバンクホークス

屋敷豪太

  • 2006年1月20日(金) 01:44 JST
  • 投稿者:
    Admin
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やしきごうた公式Webサイトhttp://www.gota.com/

創る和紙職人 ハタノワタル

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